mamenotanemame

2014年4月よりJOCV、ベネズエラにてアグロエコツーリズム開発のサポートを。

旅とお金と

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年末年始、10日間ほど、エクアドルとパナマに遊びに行ってきた。

これで、中南米で足を踏み入れた国は、ちょうど10カ国になった。

 

久しぶりの旅から帰って、今までの旅や旅の種類のことを考えたりして、任地に戻るときになってもまだ旅頭から抜け出したくなくて、ナオト・インティライミの旅日記を借りてきて読んだ。バックパッカーの世界一周旅行記とか、今まではあんまり興味なかったのだけれど、なおとさんの素直な感じ方とか、まっすぐな文章とかが気持ちよくて、共感する部分も各所にあって、楽しみながら読んでいると同時に、旅に出たい欲がふつふつふつふつふつふつふつと湧き出てきてしまった。

 

ただ、今回のパナマ・エクアドルの旅行と、なおとさんの旅行記を読んで、今までとは違う気持ちが出てきた。

バックパッカーの旅というのはいわゆる貧乏旅だというのが共通の認識で、彼らは安宿に泊まり、公共の乗り物を使って、現地の人と同じような食事をする。ヒッピーみたいなかっこで、大きな登山用バックパックを背負って、そこから靴やら、飲み物やら、いろんなものをぶらさげている(イメージ)。

彼らはぼったくられるということをまるで武士の恥とも言わんばかりに嫌う。もちろん、お金がセーブできればそのぶん長く旅を続けられることもあるし、安いに越したことはないので、当然といえば当然なのだけれど。

 

いっかい、パナマで、日本食を買った帰り、元旦にバスが走っていなくて、タクシーつかまえなと忠告を受けて道路の脇に立ってきたときのこと。一緒につかまえようとしてくれた人と待っているときは、一台もとまらず、その人に悪い気がして、もう大丈夫だよ、と言い、彼が去ったあとに一人で待っていると、急にタクシーがとまりだした。最初にとまったタクシーに、○○までいくら?と聞くと、15ドル、と言われ、いくらなんでも高すぎたので、そのまま見送って、二台目を待ったら、二台目は2ドルだった。運転手さんと話したら、私をパナマに住んでる人だと思ったらしい。

 

観光客と、現地の人の物価の差、というのは認めるべきか、拒むべきか、このことについて、考えていたのだった。

まあ、結局のところ、どっちも良いと思うのだけれど。正確にいうと、使い分けるべきというか。

個人的には、前よりは、外国人と現地の人で違う値段を請求する人に対して、自分は寛容な気持ちになっているなあと思う。だって収入が違うんだもんな。しょうがない。一眼レフぶら下げて、数十円の差でもめてる人なんか、現地の人はどういう気持ちで見ているのだろう、とか思っちゃったり。

もちろん、常に羽振りよくお金を払うことは避けたほうがいい。きっと危険だし、とても配慮に欠ける姿勢に見える。

ようは、質素に、適正に、お金を使うことができればベストなのだ。

 

たとえば民芸品にしても。

エクアドルの民芸品市場では、可愛いけれど既製品のようにそれぞれの店で同じようなものが並んでいる中で、値下げされても買う気が起きなかったけれど、パナマの民芸品では一点一点の手づくり感がすごく強く見ていて飽きず、先住民の女性が自分の商品を売っていて、いろんな話をしながら値切りもせずたくさんの買い物をしたりした。

 

たとえばキューバは、観光客と地元の人用にペソとドルが存在していたり、ブータンなんかはもう強制的に観光客用の価格でしか観光ができなかったり。

ベネズエラでも、そのうちドルとボリバルダブルスタンダードができそうだ。ドル獲得はベネズエラ人にとってとても大きいし、インフレとボリバルの下落スピードが半端ないうえ旅行者にはドルからボリバルへの換金はちょっと骨を折るのではないかと思う)

 

余談だけど

前に、ベネズエラ人と日本人と話していて、高級マンションの一ヶ月の家賃の値段をベネズエラ人が言ったときに、日本人のえっ!(安!)という驚いた姿を見てはらはらしたことがあった。

その国の最低賃金や平均的な収入を知っていれば、こういうときに配慮ができるのだなあと思った。旅行中も同じかもしれない。

 

お金の価値、

お金の使い方。

それらは、ただ単に経済状態やステータスだけじゃない、その空間における自分の立ち位置とか、人への配慮とか、商品への価値を示したりとか、こだわりや意思表示とか、ほんとうにいろんなものが表れる。

そんなことを再認識。まとまったかな。