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2014年4月よりJOCV、ベネズエラにてアグロエコツーリズム開発のサポートを。

飢餓まではいかない、食の不自由。

 食というキーワードが最近頭にこびりついている。

きっかけは、友人との会話だと思う。

 

ある夕方。もう暗くなってくる頃。

友人の若いお母さん「今夜食べるものがないのよ。パンを買いに行ったら売っていなくて」

私「えぇ~ Harina Pan(主食のとうもろこし粉)ストック切れたの?」

お母さん「そう、もう一週間になるわ」

私「パスタは?パスタなら確かあそこのお店に売ってたよ」

お母さん「またパスタ~!?もうずっとパスタしか食べてないのよ」

私「そうかあ、、、」

 

ベネズエラは、現在、石油の価格下落による経済状況の悪化により、貧困層のために政府により低価格に規定された食品や日用品が手に入らず、深刻な物不足となっている。

要は、私の理解だけれど、急速なインフレ、ドル高が進む中で、政府の規定した低価格では、生産者が自分達の商品を売りたくないのだ。鶏肉、主食Arepaの粉用のとうもろこしなど、原材料の多くが他の国々からの輸入であると言われている。また、商品の横流しというのも行われているらしい。くわしく分からないけど。

とにかく、スーパー、地域の食糧雑貨店の棚はからっぽ、日用品が届いた時に、人々は行列を作り、一人○個まで、と決められた買い物をすませることになる。

最近、スーパーでは身分証明書の番号下一桁により買える曜日を制限されるようになった。0と1で終わる人は月曜日、2と3は火曜日、という具合。

 

 

会話の話に戻る。

多分、前の私だったら、なんだ贅沢だなー食べ物がまったくなくなったわけじゃあるまいし、と思っていただろうと思う。

でも、おいしいごはんや味噌汁を食べた時の満たされる気持ちを、社会人になってから感じられるようになった私は、食べたいものを食べる、ということの幸福感がどういうものかがなんとなく分かるようになった。

そして、ここの人たちが、どんなに食べることが好きかということも、この一年でありありと実感している。ごはんトークは尽きることがないし、冷えた食事、冷えたコーヒー、ぬるくなったジュースは飲まない(捨てる)。一日に食べる回数の多さ、個人のごはんでも自分だけ食べるということをせず、必ず周りの人たちにも分け与えてくれる(逆にその人の分を残しておかないとあとで怒られたり(もちろん冗談でだけど)、また与えられた食べ物を断るのもすごく失礼なこととされている)、そんな人たちだ。

 

一方で、食のバラエティはとても少ないと感じることもしばしば。

豆の煮方、味付けも人々の間ではもう決まっていて、「この食材はこういう調理方法や味付けをするもの」という固定観念がすごく強い。

パスタも、「またパスタ~!?」と感じてしまう所以は、ソースがほぼ一種類しかないのだ。ミートソースにマヨネーズをぼったり乗せたもの。たまに摩り下ろしたチーズも乗っている。(個人的には昔の喫茶店の「ナポリタン」のイメージ。)

 

限られた食材で様々なバラエティの、そして美味しい料理をつくれるということの重要さを、目の当たりにしている。

多分、まだ具体的にわからないけれど、ベネズエラ以外にも、好きな食材が手に入らない場所というのは世界にはたくさんあるんだろう。

飢餓まではいかない、食の不自由というものの存在があるような気がする。

 

その場所にあるもので、その場所の人々が好きになってくれるようなおいしいごはんがつくれるようになりたい。

そんな気持ちがとても強くなっている。