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2014年4月よりJOCV、ベネズエラにてアグロエコツーリズム開発のサポートを。

ネブリナ山探検紀行 ―世界最古の森から

今年の8月に、ギアナ高地(ロライマ山とエンジェルフォール)に国内旅行に行く計画を、他の隊員と立てている。

 

去年、ベネズエラに来たばっかりの時は、実は、まあいけたらいいかなあと思っていたくらいで、そこまで行く気満々ではなかったのだった。どうも、「滝」とか、「国立公園」とか、「野生動物」、そういう響きには反応が鈍い。「ガラパゴス」「死海」「サハラ砂漠」「ケニアのサバンナ」「タスマニア」このあたりも、あんまり。まだ、自然だけの風景から何かを受け取れるほど、自分の受信アンテナの感度が高くないものだから、わざわざ有名な観光地というだけ(今の自分にはその情報しかない)で足を運ぶ気がしないのだと思う。そういう感度のある人と一緒に行くか、ツアー以外の手段があれば別だけれど(余談だけれど、自然の中でも「星空」「ほたる石」には珍しく反応したのだった。ウユニと、オーストラリア。光るものは、分かりやすいから隙なのかもしれないな。ほたるも好きだ)。

 

そんな中で、ボランティア連絡所にてタイトルの本を見つけた。読む気になったのは、関野吉晴さんが同行していたからだった。

エンジェルフォールのあるアウヤンテプイ山で感じた原始の世界に生きているような感覚と神々しさ、ギアナ高地の形成は、今から20億年前とのこと、生命が誕生する、はるか前。あのテーブルマウンテンの黒い岩壁は、17億年前の岩盤がむき出しになっているという。

 

 (ここから<em> にしたいのに反映されない。本の引用です)

目をぬぐいながら見る光景は現世とは思えない。稲妻によって台地上全体が照らされるとき、いまだ恐竜どころか原始の生命がこれから生まれる地球誕生の光景をほうふつとさせる。荒々しく暴力的で、みじんのやさしさもないが、不思議と神々しい。雨の中、歯をガチガチさせながら、原始の世界に生きているような錯覚におちいった。

 

アマゾンのジャングルでも狭い地域に豊富な種類の植物がひしめきあっている。ジャングルに入って周囲を見渡す。その視界の中に同じ種類の植物を探し出すのに苦労するほどだ。これもこの地の地味が貧しいための苦肉の策だ。多種類の植物が生えるということは、一つにはそれぞれの植物によって必要な養分が違う。一つにはそれぞれ根の張り方が違うので、養分を吸収する場所をゆずりあっている。こうしてバランスの取れた共同生活をしているのだ。

(</em> ここまで。なんで反映されないのかな) 

 

関野さんが一緒に歩いたのは、カナイマ観光の創始者、ジャングルに住むルーマニア人の植物学者、動物学者、地質学者のおじいさんだった。そのおじいさんは、この地で恐竜を見たという話を関野さんに語っていた。きっと、この場所なら見ても不思議ではない、と、関野さんは感じていただろう。

この本が書かれたのは、私の生まれた年だ。

 

とにかく、歩いてみたい、そう思ったのだった。

旅人のように自由な身ではなく時間も限られているので、パッケージツアーに参加するよりほかはないけれど、コナンドイルの失われた世界の舞台にもなった(といわれている)ロライマを歩くことができたら、なにか自分の感覚に触れるものがあるのではないかという気がした。

森ガール(妖精系ではなく、チェーンソーふりまわす系の)と一緒なので、そんなひとと森を歩けるのも楽しみのひとつ。

 

今から楽しみです。