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2014年4月よりJOCV、ベネズエラにてアグロエコツーリズム開発のサポートを。

自然の中の生活

 

都市でも田舎でも、生活というものはある程度効率的にこなさなければならない、ということが、ここ一ヶ月の田舎生活で感じること。

 

晴れの日は朝から早起きをして、洗濯をして、がっつり畑の面倒を見て、建築作業をして、、と、晴れの日にできることを、午前から午後の段取りを考えて動かなければいけない。

雨の日は、気分がゆったりできるのが嬉しい。雨の日の作業は、障子の張替えなど家の中の修復や、調味料や酵素ジュースを作ったり、パンを焼いたりと、キッチンでの作業が多くなる。

晴れ、曇り、雨、朝、昼、夜、春、夏、秋、冬、それらの要素が、田舎では、作業を決めるものになる。

 

会社で仕事をしていたときはと考えると、季節や天気はあまり関係がなく、段取りを考える上で重要なのは納期、そして人の都合。

納期は定期的なものと、一時的に飛び込んでくるものがある。定期的なものは、たとえば三ヶ月毎のものだと、年度始まりから数えて一回目のものと三回目のものでは、業績予想の現実度具合が大分異なる。これは季節的要素とちょっと似ている。

また人の都合の場合も、関係者がいつ出張から帰ってくるかなどに合わせてミーティングを入れたり、人の仕事の早さを考えて進めていったりする。

 

要は、何を思ったかというと、会社での仕事も、田舎での自然相手の生活と似ている部分がたくさんあるということ。

人間も、定期的にくる納期も、自然と考えれば、あんなに煩わしい思いをたくさんしなくてもよかったのだ、きっと。


ではなぜ自然相手の今の生活の方が気持ちが落ち着いているのかというと、自然相手では文句の言いようがないからなのだと思う。自然は絶対的なものなのだ。

人間や納期は絶対的なものではない。文句を言おうと思えば言えるし、逆に言われるし、納期も延ばそうと思えば延ばせるし、逆に延ばされる。

自然は言わばとてもトップダウン的。自然にそのまま従う。

会社(社会)は相互のコミュニケーションで成り立つ。


もうひとつは、自然の中で効率を考えるというのは、自分の背丈にあった工夫とペースで物事を進められることが大きいことのような気がする。

 ひとつひとつの作業をこなしていきながら、次はあれをやろう、こうしてみようと、自分に合った効率的、合理的なやり方が自分で見つけられることが大きいのかもしれない。


とにもかくにも、今の生活がとても好きだということは、まちがいないなあ、と思ったりする。